24時間365日営業
ラブラブだったクリスマスも過ぎ去り年の瀬になってきました。
街は今年もせわしなく、
恋人たちも年休を取り実家に帰る時期です。
今日で当院も、今年の通常営業は終了となります。
ただ、こんな時期だからこそ、
年末年始に昼夜関わらず働いている方々には本当に頭が下がります。
平成は、24時間365日営業が当たり前になった時代だからです。
昭和の時代は長く、製造業を中心に国富が増えていたので、
単一の労働時間が長ければ長いほど生産性を高めることができました。
朝早くから午前様まで猛烈に仕事をすればするほどモノを多く生産することができ、
労働者もその利益を享受し生活の安定を得ることができました。
平成の初めの時期は日本人の労働価値が外国と比べて高まり、
テレビやクルマなどのクオリティの高い製品が家庭に普及し、
価格競争の時代に突入したことで外国との競争に優位性を保つことが難しくなりました。
それに加えて10年前に起きた世界規模での信用収縮により、
一時的に日本円の価格が跳ね上がったことで、
日本でモノを作り海外へ売る産業が大きく毀損されました。
リーマンショックはアメリカの不動産だけではなく、日本の製造業にも大きな影響を与えました。
それとはまた別に時代の変化と共にサービス業の存在感が急激に高まりました。
昭和の時代にできあがった長時間労働への依存価値観が残ったので、
平成の時代はサービス業においても長時間労働が求められました。
消費者も長時間営業による利便性を求めました。
それはコンビニなどの小売り業に限らず、医療や介護福祉においても顕著でした。
人間は元来に日の出と共に起床し、昼に活動し、夜に眠る生き物です。
深夜に起きる生活が続くなどということは、100年前は存在しませんでした。
深夜に人間が活動するのは、戦争や災害などの特殊な状況だけだったはずです。
警察や消防、病院などの公共サービスや電気ガス水道などのインフラ、
コンビニエンスストア、ビルの管理、トラックなどの運輸業など、
社会が発展すると共に求められるサービスの質が高まりました。
昔は黒電話しかなく、物理的に拘束されない限りは自由になる時間を作ることができましたが、
携帯電話が普及したことで、人間はいつでもどこにいても24時間縛られることになりました。
「24時間365日、いつでも携帯電話を受けて緊急の対応を致します」
日本の歴史の上で初めて、そのような時代が訪れました。
これからはほとんどの先進国で少子高齢化が進み、
24時間営業や365日営業を続けることが難しくなっていきます。
セルフサービスのガソリンスタンドやコンビニエンスストアでさえ深夜営業を止めているお店があります。
これからは一定の人が一定の時間だけ働く条件で、
付加価値を増やし労働生産性を高めていくことが求められます。
AIなどの技術が進歩すれば労働生産性を高めることができるかもしれません。
公園の一定の範囲を移動式安全柵で囲い、音楽やホログラムで園児30名にお遊戯をさせながら、
保育士さんがふたりだけで転んだり泣いたりしている児童をあやしているみたいなことです。
介護や保育における付加価値とは、例えば笑顔で優しい言葉をなげかけるとか、
誤って飲み込まないように気を付けて食事を手伝ってあげるとかになります。
ホテルでのホスピタリティでしたら宿泊料を上げたり、チップを受け取ったりすることができますが、
福祉サービスの利用者は付加価値に対する経済的な対価を支払うことができません。
介護士や保育士の給料を上げることには構造的な限界があります。
医師や看護師が行う医療行為も同じなのですが、
そのような付加価値に対する対価の支払いができないサービスなのに、
病院や保育所ではたまに、ホテルと勘違いしたマネジメントが行われたことがありました。
例えば、高度な英語教育を謳ったり、患者さんへ「様」をつけることを院内全体で義務付けたり、
発想としてはホテルサービスと同じです。
付加価値に対する経済的な対価を受け取れないのにホテルのようなサービスを求められる、
患者さんやご父兄からもホテルと同じ高級サービスを求められる、
通いたくて病院や保育園に通っているわけではないので、たくさんの苦情を受け取ります。
結果的に医療者も介護者も保育士も、バーンアウトしていく。
それが人手不足の構造的な問題の本質だと思っています。
個人的にはこの問題の解決方法は明確だと思っています。
経営者は、職員が生みだした付加価値を広くブロードキャストをし、また認めることです。
それしかありません。
付加価値に対する対価はサービス利用者から受け取らなければならないわけではなく、
また決して金銭で受け取らなければならないものでもないからです。
元々、お金儲けを目的にして医師や看護師、保育士になる人は少ないはずです。
本来、医療者や保育者は、人から笑顔を受け取って、幸せになりたいからその仕事を選んでいるはずです。
ですから、医療や保育、介護のサービスを受ける側もかしこく立ち振る舞わなければなりません。
それはとてもシンプルで、働いている方にありがとうと感謝の気持ちを表せば良いんです。
少し前までは100歳を超えるとお祝い金がもらえたり、銀の杯がもらえました。
今では100歳はあたりまえで、成人数人で高齢者ひとりを支えなければならなくなりましたが、
そんなことはなくなりました。
介護を提供してくれる立場の方が少なく貴重なのです。
今年に成人を迎えた人は120万人、20年後に成人を迎える予定の人は90万人しかいません。
ある意味、高齢者にとっては受難の時代です。
もしも昭和の時代の意識のまま介護を提供してくれる側に求めてしまうと、
こちらが選ぶ側だと思っていたら実は選ばれる側になっているからです。
周囲の介護施設の話を聞いていても、利用者さんが足りないという話はほとんど聞かず、
夜勤をしてくれるスタッフが集まらなくて困っている施設ばかりだからです。
だからこそ、どの年代であれどもお互いにありがとうと言葉をかけ合える社会こそ、
これからは貴重になっていくと思います。
インターネットなどの匿名性の高い世界では不平不満ばかりを目にしますから、
「ありがとう」という言葉を伝えられるだけで貴重な人財になります。