母親からの愛情
母親からの愛情
今日は母の日でした。
日曜日だったので近くのショッピングセンターに子供を連れて買い物に出かけましたが、
母の日のカーネーションや贈り物の出店がとても華やかでした。
患者さんとご家族から教えて頂いたり、
仕事で色々な方と関わっているうちに、
人の考え方や物事の捉え方は、
幼少の時期にどれだけ家族や周りの人々から愛情を受けられたかに、
とても影響を受けているような気がしてきました。
自分自身を見返してみて思うのですが、
人から褒められた時に自分自身を喜ぶことができたり、
逆に叱られた時にそれを素直に受け止めて反省できるか、
自分自身の心に安心できるよりどころがあれば、できるような気がします。
主治医として患者さんに関わらさせて頂くことでも同じように感じる時がありました。
当院は、病気を患われ入院されたり、自宅での介護が急に必要になったりして、
患者さん方の生活が変わった時に、患者さんのご自宅へお伺いしています。
生活が大変な方へ大きく変わった時に、患者さんとご家族にお会いします。
体調の変化、老い、人生についての捉え方次第で、人の幸福感は変わります。
そういう時に大抵お医者さんは、身体の治療や今後の見込みについて説明をします。
それはそういうものです。そういう仕事ですから。
介護に携わる方も同様です。介護保険のサービス内容などについて説明をします。
それも当然です。それが業務です。
しかしながら、誰もその方の人生全てを背負うことはできません。
周りの人がどんなに頑張っても、人は人の人生を100%幸福にさせることはできないんです。
病状が良くなったように見えてもそれに満足できない方はいらっしゃるし、
逆に、こちらが申し訳なく思うくらいに医療技術の力が及ばずとも、
感謝して下さる方がいらっしゃいます。
明かな不幸というものはあるかもしれませんが、「幸せ」の定義は難しいです。
同じ状況でもその人の捉え方次第で、幸せかどうかは決まります。
幸せを感じられている方はこちらにも伝わってくるのでわかりやすく、
携わらさせて頂いている自分達も幸せな気持ちになるので、問題には挙がりません。
逆に、どんなにご家族や介護者、他の人が手厚く努力をして支援をされても、
気持ちや努力が届かない方も確かにいらっしゃいます。
時に、患者さんにお会いする前からそういう経歴だと情報を頂くこともあります。
「そういう方なのだ」とはじめから距離をおいて接されたり、
それよりも以前に診療をお断りされることが多いと思いますが、
「そういう方なのだ」、という認識で初めから構えてしまうのは、構える側の考え方も浅く、
相手の「心の安心感が満たされていない」だけなのかもしれません。
僕自身だってあります。誰だって、そういう時ってありますよね。
小さな頃に両親から愛情を注がれていなかった子は、
心の安心感が満たされず、その容器の底に穴が開いてしまって、
大人になってからどんなに愛を注いでも、底の穴からこぼれてしまう。
穴の大きさはわかりませんが、
そういう方にこそ医療者や介護者が、心が満たされるまで注いでみる、
もしかしたら底の穴が塞がって、愛情が溢れ出てくるかもしれません。
紹介を受けた時ははっきりと、「この方は難しい方です」などと情報を頂いていても、
実際にお会いしてお話をしてみるとそうでもなかったりとか、
そういうことが、思っていたよりもたくさんありました。
なんてことはない、今まで医療者や介護者から距離を置かれ続けていたので、
注いでもらうことなんてなかっただけなのかもしれません。
お医者さんが患者さんやご家族に注ぐ方法は、一番シンプルです。
先入観を持って接しなければ良いだけです。
単純です。
けれども、とても難しいです。
人間は人に対する観方を構築しながら人と接していく生き物なので、
その衝動を抑え続けることって、とても難しいです。
母親の笑顔ってすごいことですよね。
何も見返りを求めずに無償の愛情を注ぎこむ。
そんな人間関係って他にはなかなかないと思いますし、
母親の人生の最後にははるか昔に頂いた愛情のお返しをしたいです。